夏の海はハダカやで |

画像の意味は詠めば分かります。
|
セクシャリティをネタに取り扱いながら、出だしからトーンがちょっと暗めっちゅうか論文のような内容が続いてしまった。セクシャリティには祝祭としての明るさが必要なのだった・・・・・・って、おれの文章には「笑い」が必要なのだった。
なもんで、今日は軽〜い思い出話で行くことにしますな。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今でこそ「美白」なんてコトが言われるけど、90年代初頭くらいまではメラニンの害なんてまったく語られることはなく、若い衆なら夏はとにかく海で真っ黒に灼くものと相場が決まっていた。
日焼けというのは、サンオイルをキッチリ使って毎日数時間、灼きすぎないようにして、少しづつ少しづつ小麦色の肌にしていくのが良いと言われる。しかし、そんな悠長なことするより、カーッと照りつける夏の海に何度も出かけて、皮が剥けてもまた灼いて、を繰り返す方が内部から光るような赤銅色の肌になれる。
しかし、ひとつ問題がある。水着を着たまま灼くと、水着の跡が真っ白に残る。いかにもこれは不自然な感じだし、正直、お互いこんな状態でセックスとかするとかなりマヌケだ。はよパンツ脱がんかい!って感じで笑えてしまって行為に集中できない(笑)。
確か丹後半島の伊根に行った時が最初だったと思う。おれ達は人気のない磯で素っ裸になって灼くことにした。
当時は平日に休みを取ることが多かったので、遊泳区域のブイが沖に浮かぶ砂浜あたりにもほとんど海水浴客はいない。ましてや磯になんて誰も来ない。岩がゴツゴツするので、バスタオルを数枚敷いた上にレジャーシートをさらに敷いて、素っ裸になってココナッツミルクの匂いのするサンオイルの塗りあいっこしてからおもむろに横になる。穏やかなようで海岸には意外に風が吹いてるものなので、最初のうち、彼女は股間がスースーするのが何ともたよりなくて不安だ、みたいなことを言ってたが、30分ほどで慣れてしまった。
腕や足の内側があまり灼けないままだと「栗まんじゅう」のようでいささか見苦しいから、表向いたり裏向いたり横になったりバンザイしたりを、とりとめのない話をしつつ、あるいはウトウトしつつ適当に繰り返す。
夏の日本海は空も海もすっこ抜けたように真っ青で、眠気を誘う波の音以外、余計な物音は何一つない静けさだ。そんな中、右に見えてた朝の白い太陽が左側の低い位置でオレンジ色になるまでのおよそ10時間近くを、たま〜にそのまま海に入って泳いだりしながらボケーッと過ごす。もちろん、ハダカでいるもんだから時折セックスもする。当たり前だろう。こんなシチュエーションではしない方がおかしい。
青空の下だからこりゃ文字通り青カンだなぁ、とトボけた感慨が頭をよぎる。うつ伏せになった腰からヒップのラインと入江の向こう側の小さな岬を見て、トーキングヘッズの「Great Curve」を思い出し、鼻歌で歌ったりする。女の腰のラインのことがテーマになった歌なのだ。
当時、彼女は腰はおろか股下まで届くパーマの掛かった長い髪だったので、それがハダカでいると何だかミョーにワイルドな雰囲気なのも、いかにも夏の海岸にふさわしい光景だった。
服着るのは昼ごはんを食べに浜茶屋に向かうときだけ。何もしないでいるのは、これほどまでに時間の経つのが緩慢になるのかと感心する・・・・・・それはのどかで、気だるく、怠惰だけど性的で、どころか強烈にエロティックで・・・・・・つまるところとても贅沢な休日だった。
それから夏の休日は毎度ではないけれど、同じようにして一日を過ごすことがよくあった。同じく丹後の間人や、香住の浜坂・・・・・・そぉいや同じく香住の三田浜の先の崖の下で同じようにしてたら、遠くの展望台か何かから望遠で撮られたりもしたな(笑)。
延々と続く真っ白な砂浜で有名な若狭の高浜に行った時は、夜になっても妙に蒸し暑い晩で、それでなくても日がな一日太陽の下で灼いたせいで、身体が火照って仕方ない。だから、おれたちは暗い浜辺に浴衣姿にビーサンでペタペタと夕涼みに出た。あたりは粘りつくようなネットリとした闇だ。土日の夜なら、遅くまで花火に興じる若者も多いのだろうが、週の半ばとあって浜辺は黒く静まり返っており、はるか彼方で時折、笛ロケット花火の上がる音が聞こえる程度だ。
身体の火照りが、いわば逆の回路で精神に作用したのかもしれない。不思議な気分の昂ぶり・・・・・・もっとストレートに言えばひどくプリミティヴで衝動的な欲情をおれたちは覚えた。そのまま浴衣を脱ぎ捨てて・・・・・・と書きたいところだが、脱ぎ捨てると暗くてどこに行ったか分からなくなるので小脇に挟んで(冷静にその姿を想像するとかなりカッコ悪いな、これ、笑)、あたりを徘徊し、そして獣じみて交わったりもしたのだった。まぁ、二人とも若かった。
おれたちは決してヌーディストではないけれど、自然の中で素っ裸で過ごす心地よさは、だから、十分理解できる。ただ、それを年がら年中奉じるような「主義者」にはなりたくない。別段ヌーディストに限ったこっちゃないけど、「**イスト」って何だかポリティカルで、何がしかからの開放を声高に叫びながら、その実イデオロギーにがんじがらめに束縛されてるのが何とも不自由で粘着質な気がする。
ああ、話し脱線。おれの文章はホント寄り道が多いや。元に戻そう。
ただし、この灼き方にはいくつか問題があった。
一つには尻まできれいに灼けるので、当日は何とか大丈夫でも、翌日はイスに座るのさえ地獄のようにつらくなることだ。「ダヴ号の冒険」という世界最年少でヨットで世界一周をした若者の手記の中で、航海の途中で仲良くなった彼女と浜辺で同じようなことしたら、日焼けして夜座れなかった、ってエピソードを昔読んだことがあるが、それが本当だってことを知った。マジで痛くて座れなくなる。
もう一つは、温泉や銭湯に行くと、あまりに全身きれいにムラなく灼けてるので、しばしばかえって奇異の目で見られること。といっても年寄りの昔語りだな。今では日焼けサロンが普及したので、そんな灼け方、珍しくもなんともない。それどころか数年前までは、「オマエのぅ〜オメコの中まで日焼けさしてんとちゃうかぁ〜!?ちょと見せてみぃ〜」などと、激しく下品なツッコミ入れたくなるような、ガングロとかヤマンバとか、ウジャウジャいたもんね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ともあれそんな夏のすごし方は3シーズンほどで終わる。日焼けの害が話題になり始め、彼女が灼くことに躊躇しだしたりしたこと、また、結婚準備で忙しくなったこと、その後は子供ができてお腹が大きくなったこと・・・・・・そんなこんなで、いつの間にかやらなくなってしまったのだ。今では遠い想い出だ。
ちなみに残念ながらこれらの写真は残っていない・・・・・・っちゅーかこんなん現像屋に出したら当時は間違いなくプリントを返してくれなかったので、そもそも撮影しても無駄だと思って撮ってないのだ。今、このサイトに上梓してる過去の温泉写真にしたって、実はネガだけでこれまでプリントのなかったものがけっこうある。スキャンしてデジタル化して初めて日の目を見たワケだ。ホント、まさかここまでデジタル技術が進歩して一般に普及するなんて、想像もしなかった。こんなことならもっと風景を、光景を、瞬間を切り取っとけばよかった。
いずれにせよ後悔したってもう遅い。
樋口可南子や宮沢りえをモデルとした作品が契機になって、いわゆる「ヘアヌード解禁」って方向に時流が傾いて行くちょっと前の時代のことである。 |

これだけウジャウジャいたらおもろいだろうなぁ〜・・・・・・チリメンジャコみたい(笑)
|
http://www.yannarthusbertrand.comより |
2006.03.18 |
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
Copyright(C) REWSPROV All Rights Reserved |
 |