「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
叡電宝ヶ池の怪


K田近影

 「友、遠方より来る。また楽しからずや」と歌われているように、遠来の友はうれしいものだ。

 昨夜、平成になって最悪の被害をもたらした台風23号が襲来する中、京都の下宿「K村荘」(この前も登場した)の悪友・K田が金沢から出張でやってきた。もう20年以上の付き合いだ。

 K村荘におれ自身は住んだことがない。元はといえば同級生のMがそこの住人で、面倒見がよくみなの人望厚かった彼のところに自然と人が集まる格好で、おれもそこに出入りし、そのうちK田とも仲良くなったのだ。おれの単車の趣味はK田の影響によるところが大である。
 しかしK村荘での彼の生活は3年で破綻した。当時付き合い始めたコが、これがもう、それはそれはものごっついスキモノで、朝・昼・夕・夜の4回、来る日も来る日も大声でよがりまくるのである(笑)。木造モルタルのペラペラの下宿でこれはキツい。周囲の人間がそのアラレもなさに、嫉妬も手伝って耐えれなくなり次々と引越していき、自身も居辛くなって、そうして転がり込んだ先は・・・・・・おれの下宿「ハイツSの森」であった。神社の鎮守の森の裏手にあって湿気は凄まじいが、取りあえずは鉄筋コンクリート、防音性だけは抜群なのでおあつらえむきだったワケだ。
 とはいうものの、引っ越したときにはすでに彼自身が腎虚っちゅーか、「青べった」みたいな状態で、元々細いのがさらにやせ衰えて命の危険もあるのでは?というところまで精を吸い取られてて、間もなく彼もそのネーチャンから逃げ出したけど(笑)

 ・・・・・・ともあれ何と言う偶然か、聞けば取ったホテルがおれの家から僅か400mくらいしか離れてない。台風で電車止まっても大変なので、都内で落ち合う予定を急遽変更して、家の近くで落ち合って飲むことにした。
 徳人、というのは確かに存在する。結局、暴風雨で表がエラいコトになってる時間中、おれ達はのほほんと、刺身やサンガ焼や豆腐ステーキなんざ肴にベロベロと飲んでいたのだった。さらに店を出たとたん、奇跡のように豪雨が途切れて、全く傘をさすこともなくおれは家に辿り着くことができた。
 これを「K田効果」と言わずしてなんと言おう。

 さて、近況・昔話あれこれ酔っ払って脈絡なく話しているうちに、おれは二人が体験した、とてつもなく奇妙でシュールで、そして恐ろしい体験のことをあらためて思い出したのだった。ずいぶん枕が長くなったが、今回はちょっとそのことについて書こう。

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 当時おれは、Mといっしょに宝ヶ池の変電所近くに事務所を借り、塾を開いていた。そのためそれまでの銀閣寺界隈から、叡電八幡前駅近辺に行きつけの飲み屋のテリトリーが変わって来ていた。中でも一番良く行ったのは「無法松」というところで、今は白川を下った北大路の方に移転してすっかり高級割烹に様変わりしたが、当時は学生でも財布を気にせず飲める店だった。

 時は11月も終わり近く、猛烈に底冷えのする晩だった。カンバンまで粘ってたから、夜中の2時近くだったろう。しこたま飲んだK田とおれは酔い覚ましがてら、ちょっと遠回りをして駅名の由来ともなった三宅八幡神社の境内を抜け、そして八瀬に向かう叡電の支線の線路をてくてく歩いていた。無論、とっくに終電は終わっている。
 途中で高い鉄橋を越えたりして、道行きはけっこうスリリングだ。そこでおれは大切にしてたオイルライターを川に落っことしてしまった。ブチブチ言ってる内に遠くに、電灯を落として暗くなった宝ヶ池の駅が見えて来る。

 宝ヶ池駅、というのは、おもちゃみたいな電車が走るこの路線では唯一の大きな駅である。ここで鞍馬に向かう本線と、今言った八瀬(当時は遊園地があった)に向かう支線が分岐していて、ホームもたしか4面くらいあった。とはいえ長さはせいぜい2両分なので、大きいといってもささやかなものだ。ホームの端っこはローカル線によくあるスロープ状でいくらでも出入りができる。

 どっちが話し始めたのか、何でそうゆう話になったのかは忘れた。遠目に見える黒く沈んだ駅が不気味だったからかも知れない。とにかくおれ達は、「あそこにどんなんがおったら怖いやろ!?」っちゅー、まことにくだらないネタで盛り上がっていたのである。

  ------ん〜・・・・・・、飛び込んだヤツが血まみれで立ってる。
  ------アホゥ!こんなおっそい電車で死ねるかいな。
  ------髪の長い若い女!
  ------べっぴんやったら幽霊でもかめへん!いてもたる。
  ------んん〜・・・・・・、ランドセル背負った小学生!
  ------それちょっと怖いな。
  ------スモック着て黄色いカバン提げた幼稚園児!
  ------あ!もっと怖い。
  ------これはどや!?赤ん坊抱いた若いオカン
  ------それはメッチャ怖い。ビビるで。

 話しているうちに駅に近づいてきた。ホームをそのまま上がる。中ほどにはささやかな差し掛け屋根の待合室があってベンチが並んでいて、そしておれ達は確かに見た。電気も消えて真っ暗なそこに、赤ん坊を抱いた女がうつむいて座ってるのを!!
 見てはいけないものを見てしまった、ということは瞬時に二人とも了解したが、視線を外すことはできなかった。その横を通り過ぎながら首だけひねって「それ」を見つつ、動揺を見せないよう悠然と歩くフリをしながらホームの端近くまで来て、ほぼ同時に二人は小声で、しかし鋭く発した。

  ------走れっ!

 あとは一目散。踏切を右に曲がれば夜中でもそこそこ車が通る白川通、左に曲がれば住宅街、どちらも少なくとも街灯が並んで駅構内よりはずいぶん明るい。おれ達は左に曲がって、何となく「逃げ切った」という気になるまで数百mを全速力で走った。酔ってるので息切れが激しい。

  ------何やってんあれ!?
  ------おお・・・・・・おお・・・・・・お、おった!
  ------オ、オカンやったよな?
  ------ああ。アカンボ抱いとった!
  ------なんで話してた通りのんがおんねん?
  ------知らんがな!
  ------ワケ分からんで。

 それから下宿までの会話がどうだったかは、走ったせいで酔いが一気に回ったので覚えていない。ともあれ、小泉八雲の「怪談」にある「むじな」の話のような二段オチがなかったことは確かである。おれ達は無事下宿に帰りつけたのだった。つまり実害はなかった。

 話はここまでだ。

 今になって思えば、この宝ヶ池近辺は妙で、この時より前だったか後だったかは忘れたが、塾を終えて同じく「無法松」でMと飲んで、スクーター2ケツで裏道の通称「桧峠」を越えて帰ろうとした時は、通いなれた道なのにどういうわけかいくら走っても同じところに戻ってしまう、なんてこともあった。

 あるいはあのへんをねぐらにしている「むじな」が本当にいて、酔っ払ったバカな学生相手に遊んでいたのかも知れない。そうでなければ、心の中に描いたとおりの姿かたちのモノが、眼前に現れるわけがないではないか。いくら飲んでたとはいえ二人とも見たのだから、幻覚では決してないだろう。
 かえすがえすも唯一残念なのは、あの時、あのうつむいていたオカンに声を掛けなかったことである。掛けてたらおれ達は多分、さらにスゴい体験ができてたに違いない。それこそ「むじな」の話しそのままの。

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 K田はこちらに数日滞在予定で、明晩は我が家に招いて飲む予定である。飲んだら近所をちょっと散歩するのに誘ってみようか、とおれは今思っている。

2004.10.23附記
 そんなこんなで飲んで夜中、近所で心霊スポットと言われる場所に出掛けていったのだが、酔いが回って気分が悪くなっただけで、何も出ることはなかった。

2004.10.21

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