「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
コレクションの基本でっせ



かつての憧れはこの2枚。「見返り美人」と「月に雁」。

https://www.yushu.co.jp/より

 1円切手が70年ぶりに新しいデザインになるんだそうな。電子メールやSNS、あるいは宅配の普及に押されて、凋落する一方の郵便事業をちょっとでも盛り上げたいって肚もあるみたいである。新しいのは「ぽすくま」らしいが、リラックマほどには知られてないのが何ともいきなり残念ではある。

 全然知らんかったんだけど、近年、蒐集品としての切手の相場ってメチャクチャ暴落してるらしい。ピーク時の1/3とか、大暴落と呼んで良い悲惨な状況だ。理由はカンタンで、コレクターがすっかり減少し、マーケットがシュリンクしちゃったからである。需要が減れば価格は下がる、っちゅう経済原則ですな。仮面ライダーカードやビックリマンチョコシールのレア物なんかの方が余程凄まじい値を付けてるみたいだ。

 でも、そうしたニュースを見ても実のところ、あまり感慨の湧き上がらないおれがいる。「へぇ~・・・・・・そぉだったんだぁ~」ってなマヌケなセリフが関の山だ。何故なら、おれももう半世紀くらい昔に切手集めからはリタイアしちゃってるからだ。

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 日本中状況は同じだったのかどうかは寡聞にして知らないが、少なくともおれが小学校に上がった頃、周囲は男の子も女の子もみんな取り敢えず、一種の小学生の嗜みのようにして切手を集めを始めるのが常だった。ホント、誰から始まったブームなのか?いつから続いてることなのか?そもそもナゼ切手なのか?・・・・・・想い出そうにもサッパリ想い出せない。とにかく同じ棟の年上の子たちは既にやってたし、クラスでも当たり前のように切手蒐集がみんなの話題となってた。

 何だかんだでミーハーなおれも「切手を集めてみたい」なんてコトを恐る恐る親に話したら、あな珍しや!父親が妙に乗り気になって、次の休みの日には早速、基本グッズを買いに連れてってもらったのだった。たしか難波の高島屋だったと思う。当時はデパートの片隅には切手と古銭のコーナーみたいなんが必ずあったのだ。

 まずは集めた切手を並べるアルバムみたいなの。函入りで青灰色の布地のハードカバーっちゅうエラく重厚で古風な作りで、表紙には金文字で「StampBook」って筆記体の押し型がされてた記憶がある。中は、ちょっとシボ加工された厚紙のページに、帯状の半透明のパラフィン紙が何段も貼られてある。要するにこれがポケットで、ここに切手を挿していくのだ。切手アルバムなんて今はすっかり見掛けなくなったモノの一つだけど、当時は本屋とか文房具屋でもワリと普通に売られてた・・・・・・が、おれが買ってもらったのが例によって例の如く、父親の謎の「ホンマモン志向」でムダに高級品だったのが判明するのはそれからしばらく後のことである。

 あと、「趣味の切手カタログ」ってタイトルだったかな?A5サイズくらいの本なんかも買い与えられた。中には国内で通用するすべての切手の画像と、それぞれの値段の相場が書いてあるのだ。当然ながら未使用品が高く、使用済みの消印が捺してあるとタダ同然になる。売りと買い、どっちも書いてあった・・・・・・あ!シート単位での相場も載ってたかも知れない。
 後から知ったんだけど、これは毎年改定されており、カタログ発行後に出された新しいのが追加されると共に、相場の変動による価格の修正なんかが加わるのである・・・・・・そらそうやわな。

 しかし、肝心の中身がない。これではどうにもカッコが付かないんで、ビニール袋に詰め込まれた使用済み切手ちゅうのも買ってもらった。1袋100円か200円で、とにかく大量に封筒やハガキから切り抜いたのが玉石混淆で詰め込まれてる・・・・・・って、使用済みって切手としての価値ないハズなんぢゃ?って疑問も湧いたが、とにかく種類が増えればそれはそれで楽しいワケで、この袋詰めは当時それなりに人気があったみたいだ。

 家に帰って、小皿に水を入れて使用済み切手を浮かす。プラモデルのデカールと同じで、しばらくすると糊が溶けて切手が剥がれるのだ。それを今度はタオルに並べて押し花の要領で乾かして行く。父親は何だかとても上機嫌で、「ホンマはな、ピンセットで1枚1枚つまんでヤカンの蒸気に当てた方がエエねんけどな」とか言いながら、おれそっちのけでエラく手際よく作業を進めて行く・・・・・・ハハ、要は自分も若い時分に集めてたことがあって、それで色んなコトを知ってたのだ。
 見た目以上に使用済み切手は大量に入ってた。タオルを一面に広げた食卓の上は、そのうち牡丹燈籠のお札屋敷のように切手だらけになったが・・・・・・そうは問屋が卸してはくれない。大半は見慣れた前島密やら花やら動物やら、ごくありふれたものばっかし!ほぼゴミやんけ!
 それでも、何枚かは使用済みとは申せ、普段あまり見かけない大判で美しい記念切手系が混じってたように思う。すぐに件のカタログでそれがいつの何なのかを調べたりして(おれはお金の勘定だけはかなり早い時期から出来たのだ)、ちょっとワクワクしながら乾くのを待ったのだった・・・・・・クドいようだが使用済みではあったけど。
 何だかんだでこの袋入り切手、その後も何度か買ってもらった。どうやらこれは一種の当てモンになってて、袋詰めの際にレアなヤツを上手くちょびっと混ぜてるみたいで、ごく稀に大当たりが出るようなカラクリになってたようである。今でもあるんだろうか?

 ともあれそうして、少しづつ切手のアルバムにはコレクションが貯まって行ったのだった・・・・・・いっそA・ウォーホールの「キャンベル・スープ」や「マリリン・モンロー」ばりにギッシリ前島密だけ並べたら、アート作品としては面白いコトになってたかもしれない(笑)。

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 そうして集めたのをどうするか?っちゅうと、学校に持ってったり、ヨソんちに遊びに行く時に持ってったりして、要は自慢し合うワケである。みんな何だかんだで消印付きの使用済みばっかだったし、これは珍しいだろ!?と思ってても、大概はカブッてばかりだった。そらそうだ。そんなにレアなのは小学生の財力では買えないのだから。みんな結局特用袋のお世話になってたんだと思う。
 冒頭に掲げた「見返り美人」と「月に雁」は当時から既に超プレミア切手として有名だったが、当然ながらそんなの持ってるヤツは誰もいない。「ビードロを吹く女」も「写楽」も、単色刷りの国立公園記念切手も然り、結局はカタログブックで見るしかない。他愛無いっちゃ他愛無い、要は「ゴッコ」に過ぎなかった。
 とにかくみんな持ってるのが殆ど一緒なんで、特に交換レートが成立して物々交換されることもなく、何だかとてもスタティックな遊びに思えて、みんな1年もするとだんだん飽きて来た。だって、やることといえば切手アルバムにチマチマと並べるだけなんだもん。結局、切手アルバムが一杯になって2冊目を買うなんてコトは、誰一人としてなかった。

 ところが、どうしたことか父親が覚醒してしまったのだ。はずみとは恐ろしいモンだ。言い出しっぺのおらぁすっかり飽きて、もぉどぉでも良くなってんのに、父親は、っちゅうと新たに発行される記念切手をシート単位でせっせと購入するようになったのである。発売日に朝から早起きして郵便局に出掛けて行くことさえあった。
 たしかに投機の対象として見た場合、新規発行されるのは券面の額通りの値段だから最も効率が良いに決まってる。当時はとにかく切手の相場は上がり続けてた時代だったし、一種の積立貯金みたいな気持ちになってたんぢゃないか?って思う・・・・・・ひょっとしたら、目端が利いて理財に長けた母親が煽ったのかも知れないな。
 そうして買ったシートは大きなおかきの缶に乾燥剤と共に入れられて、ステレオの下のサイドボードの抽斗に仕舞われていた。ハッキリとは覚えてないが、おれが小学校の高学年になるくらいまで、コンスタントにシートは増え続けてたんぢゃなかったかな?ありゃ一体全体、どこに消えたんだろう?今度実家の整理に戻ったら探してみよう。

 そうそう、郵便局は駅前から真っすぐ伸びるダラダラ坂を登り詰めたてっぺんの交差点を右に曲がった辺りにあって、その一角には市役所の出張所や診療所、歯医者なんかも固まっていた。そこの多目的室を会場に、中国物産展が開かれた時のコトは不思議と鮮やかに覚えている。まだ切手に飽きる前だったから、ちょっと時系列としては上のエピソードより前のことだ。
 殺風景な会議室の中には安っぽくてけばけばしい色の暖簾や造花、コテコテしい家具とかが一面に並べられており、その片隅で中国切手が売られてたのだった。今から思えばまだ当時は文革の最中だったからだろう、毛沢東の図柄が多かったような気がする。どれも人民服のカーキグリーンと国旗の赤が強調されてたな。あと、金魚とか竹にパンダなんてのもあったが、子供心にも色合いとか緻密さで印刷技術が粗悪な気がした。値段は大したことなくて大体一枚10円から20円だったように思う。母親に連れられてって、良く分からないまま4~5枚買ってもらったけど、一体全体ありゃどれだけの価値があったんだろ?

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 結局、切手蒐集は小学校2年くらいには終わってたような気がする。アッちゅう間の一過性のブームだった。周囲のみんなも同様の感じだった。そんなんより虫採りに行ったり、基地作ったりする方が余程楽しかったのだ。

 コレクト、っちゅうのは結構根源的な人間の愉しみであろうとは思う。ただしかし、あくまで個人的な趣味趣向で言わせてもらうならば、単に珍奇だから・稀少だからって集め、ひたすらそれを眺めて愛でるだけ、あるいは所有してることをドヤ顔で威張る、なんちゅうのはどうも性に合わない。投機対象として大切に持っておいて、時期を見て売るってな割り切ったスタンスの方がおれにはまだシックリ来る。
 チープ・トリックのR・ニールセンは世界有数のギターコレクターでもあるが、58年レスポールだろうが何だろうがガンガンライブで使うので有名である。楽器なんだから使ってナンボ、使わないで仕舞い込んどくなんて勿体ない、ってなことをインタビューでも答えてた。そんなんだからバックル傷や打痕が付きまくってる彼の放出品は、所謂「デッド・ミント(新品と見まがうばかりのオールド)」を求めるようなコレクターからはウケが悪いらしい。
 その考えにおれも大いに賛同する。モノである以上モノとしての天命を全うさせたい、みたいな気持ちがあるし、集めて何もせずにただただ所有するだけの行為に面白さを感じられないのだ。だから車庫に入れっぱなしで走行距離が殆ど行ってないスーパーカーの中古なんかも、何が良いのかサッパリ理解できない。

 そんな風に自分の姿勢を早いうちに考えるキッカケとなった、っちゅう点で、案外この1年半ほど続いた切手蒐集は人生において大切な時間だったのかも知れない。その後もアホなコレクションのブームの波は小学生の間に何度かやって来たのだけど、おれはいつもちょっと醒めてしまってて、集めること自体に血道を上げる気にはなれなかったのだった。

2021.02.19

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