「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
廊下の彼方から


今回のお話の舞台である小学校の見取図です。最初にこれを良く見てくださいね。

 暮れなずむ冬空の下、小学校の校舎は黒々とした姿で聳えている。終業式が済んで冬休みが始まったその日、おれは忘れ物を引き取りに小学校の自分の教室に戻った。小学校5年の時だ。

 取りに戻った忘れ物とは半間四方の薄っぺらいベニヤ板2枚だ。細かいいきさつは忘れたけど「必修クラブ」とかゆうのがあって、おれは家で模型やると叱られるもんだからそれを利用して、何かレイアウトとかジオラマのようなものを作ろうとしてたのである。しかし、それなりに手先は器用な方だったとはいえ、いかんせん予算不足のガキのことであるから作業の進捗ははかばかしくなく、新聞をハリボテにした山は出来ても木は植えられぬ状況で、仕方ないから絵の具の緑色を塗ったら活字が透けまくり・・・・・・なんちゅう悲惨な姿で冬休みの課題にされてしまったのだったと思う。

 自分でも敗因は分かっていた。つまるところデカ過ぎたのだ。半間四方が二枚、すなわち畳一枚分の面積がある。Nゲージなら立派なレイアウトが作れてしまうような面積だ。今考えれば超低予算でSF大作の映画を作るエド・ウッド以下の無謀な行為だった。
 だからおれはかなり憂鬱であった。冬休みの2週間、どんなに気合い入れたってまともに完成はおぼつかない。戦争だってロジスティクスがなければ勝てっこない。そんな風に嫌がって視界から遠ざけるようにしてたから、持って帰るの忘れたんだろう。

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 まだ時刻はそんな遅くはなかった。たしか4時半くらいだったと思う。日の長い関西だから、そんな真っ暗になってたワケではない。

 校舎は100mほどの長さのある本館と新館、そして体育館の順で斜めの平行になって敷地内に並んで建っており、それぞれは渡り廊下でつながっていた。本館と新館との間には東側と西側、2本の渡り廊下があり、西側はそのまま新館を通り抜けると体育館に行ける。そこではしょっちゅう近所の新生児の予防接種なんかの受付をやってた。今は選挙の投票会場くらいにしかならんだろうが、当時、爆発的に人口が増え続ける団地にあって小・中学校は様々な会場としての機能も持たされていたのだろう。

 職員室でカギを借り、新館1階入り口の扉をあけ、2階の一番東端にあった自分の教室のカギも開ける。出来て間もない学校で、ましてや新館や体育館なんてほんの2年ほど前に出来上がったばかりとはいえ、それでも電気が消えて薄暗くなった校舎内は何となく不気味だ。教室の電気を点けると後ろの窓際に件の無用の長物は立て掛けられてあった。改めて手にしてみるとやはり大きく、ベコベコしなって持ちにくい。これを担いで日暮れ道を家まで戻らんとあかんのかと思うとウンザリするが、今日は夕方から親戚のおばちゃんが遊びに来るってオカンが言ってた。いつも「ヒロタのシュークリーム」を手土産に持ってやって来る恰幅のいいおばちゃんだ。帰ればシュークリームが待ってるなぁ〜・・・・・・って、そぉゆうことだけはキッチリ覚えてるんだよな、これが(笑)。
 こうしてブツを抱え教室を出て施錠しようとしている時、それは廊下の向こうから聞こえて来たのだった。

 赤ん坊の泣き声だった。

 遠くからではあったけれど決して小さな声ではなかったし、おどろおどろしいものでもなかった。元気よく泣いているのが明瞭に聞こえた。片廊下になった校舎のおれが今いる2階の突き当たりは家庭科室か理科室だったと思うが、だいたいそっちらへんの方角からオギャァオギャァと聞こえてくる。よくサカリのついた猫はこのような鳴き方をすることがあるが、もちろんそれではない。だいたい今は冬だ。猫が発情して盛んに鳴くのは春もかなり暖かくなってからだ。

 お化けの類を信じてるくせにミョーに理屈っぽいところのあるおれは----いや、今起きていることを認めたくないから無理やり合理的な理由をつけて安心しようとした、と言った方が正直だろう----「いつものように予防接種を下でやってるんだ」と考えることにした。なるほど予防接種の会場となった時は、注射されて火のついたように泣き叫ぶ子供が結構いる。
 努めて冷静を装って1階に下りる。泣き声はまだ遠くで聞こえている。玄関の扉の施錠をしながら西側の方を見るが当然のように誰もいないし、電気も消えている。まったくもって小賢しいだけでアホなガキだ。そもそも建物の扉を開けて入ったのは自分自身や、っちゅうねん。他に誰が新館の中におった、っちゅうねん・・・・・・急にものすごく恐怖がこみあげてきた。
 あとはどのようにして家まで帰ったのか覚えていない。ヒロタのシュークリーム食ったのは覚えてるけど(笑)。

 ちなみにこの体験をおれはクラスの誰にも話さなかった。というのもちょうどその頃は中岡俊哉の心霊写真や、「うしろの百太郎」・「亡霊学級」・「恐怖新聞」といったつのだじろうの一連の作品とかで日本の小中学生の間に空前のオカルトブームが起きてた時期とピッタリ重なる。誰もがいっぱしの心霊マニアだった。
 そんな状況で「学校で赤ん坊の泣き声」な〜んて余りにありがちで出来過ぎだし、それに他に証言する者もいない。ヘタに語ると目立ちたいがための作り話と思われてしまいかねないっちゅう打算が働いたのである。そりゃ〜お化けも怖いけど、クラスの中でウソつきのレッテルを貼られて居場所をなくすことの方が、小学生にとってはよっぽど怖い。

 ともあれこの一件以降、何だかそこに不吉なものがあるような気がして、おれは新館の西の端の方に行くことをそれとなく避けるようになった。理科室や家庭科室を用いた授業もどこたなく薄気味が悪く落ち着かなかった。

 翌年の夏になり、体育館での授業が終わって教室に戻る途中、新館に向かう渡り廊下のところでクラスの誰かが声を上げた。みんなで駆け寄って見ると、校舎の周りに雨だれの飛散を防ぐために敷き詰められた砂利の上で、白い身体にカラフルな模様の小さな蛇が身をくねらせている。おれは昨冬のことを思い出し、その白い蛇が何だかこの辺りに澱み凝った因縁の象徴のように思えて一瞬、胴震いがしたのだった。
 さらに数年後、同じく新館の西、教室とは反対側に作られたトイレの窓から女の子が転落して死ぬという事件が起きた。鬼ごっこしてて勢いあまってガラスを突き破って3階から落っこちたとのことだった。おれはもう高校生くらいになってたと思うが、その話を聞いてあのポイントに対するおれの疑念はさらに深まった。あの新館の端あたりにはきっと何かある、と。

 無論、30年以上が経ち、住むところも変わってしまった今となっては調べるすべもない。

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 さてさて、その超低予算ジオラマだかレイアウトだかが、結局、完成の日の目をみることはなかった。ずいぶん長い間、大して広くもない団地の我が家の押入にそのベニヤ板はしまわれたままになっていたのだった。

2008.08.23

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