チューリップハットにベルボトム |

肝心の画像は見つけられなかった・・・・・・。
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http://www.book-oga.com/より
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ダッセェ〜〜!!
・・・・・・なんて言わんといてつかぁさい。これらプラス肩より長い長髪が、おれが小学校低学年だった70年代初頭の頃、「自由」を叫ぶ若いオニーチャンのカッコの標準形だったのだ。吉田拓郎の歌詞にだってあるぢゃんか。いやぁ〜ヒッピーだね、フラワーだね、反戦だね、っちゅう感じ。足許は当然ペラペラのサンダルですよ。上はTシャツか暑けりゃハダカだわ。言うまでもなくシャツの裾はダラーッと延ばしてなくてはならない。
それが今や「自由」は、「エンタの神様」のエンドロールでお笑いのネタと成り下がっている。
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一体全体小学何年生のときのことだろう?一枚の写真に、ガキのおれは目を奪われた。
素っ裸の白人ニーチャンが雲一つないような晴天の陽光の下、泥水の中で、これまた素っ裸のパツキンネーチャンを前向きに肩車して深々と股間に顔を埋めている。たぶん、じゃれ合ってて水の中からかつぎあげた一瞬を捉えたのだろう。周囲の男女もみんな素っ裸で泥だらけになって無邪気に遊び回っている。
そこに隠微とか淫蕩とか、ハダカにつき物のマイナスイメージはまったくなかった。ただもう、底抜けに明るく、屈託のない、放埓なまでの「自由の謳歌」のイメージがあった・・・・・・奈良原一高の「生きる歓び」という写真集だ。
ちょっと説明するとこの作品、1971年、アメリカで開かれたロックフェス「Celebration of Life」のルポのような作品だが、演奏してるミュージシャンの姿のショットなんかはロクにない。集まったオーディエンスが折からの暑さもあって、会場の中でみんな素っ裸になってウロウロしたり、遊んだり、セックスしたりしてる様子が淡々と収められている。無論、背景にあるのはフラワームーヴメントの反文明とフリーセックスの考え方だろう。もちろん、ハッパ系のマッタリドラッグの影響もあるに違いない
実はおれは上に掲げた単行本は未見で、たしか、「カメラ毎日」の特集となったダイジェストの方を見たのだが、単行本がオールモノクロ(らしい)のに対し、カラー写真が相当数含まれてたような記憶がある・・・・・・なーんて細かいことはどぉでもいいよね。
ともあれおれは身体の芯から思った。
-------これが、自由だ!
自由の定義はさておき(笑)。愛や平和はどうでもよかった。とにかく自由だ。
世間の平均値から大幅に乖離した家の重苦しい雰囲気に、おれは閉塞感と無力感を抱き始めていたのだ。すなわち、親の愛、という隠れ蓑をまとった干渉と規制、禁止、抑圧、束縛、拘束が常軌を逸したレベルであることに窒息しそうになっていることに。そしてそれだけでなく、「オマエのためを思ってやって何が悪い!?」という度しがたい傲慢が、おれの力ではいかんともしがたく、絶望しそうになってることに。
しかし、そやからっちゅうて、極東の片隅で小学生が素っ裸になって自由を叫んでも詮無いことだ。一人でやったらキチガイだ。
そこに登場したのがチューリップハットやベルボトムのジーンズだ。奇妙な部分で学習能力のあるおれは、どこで仕入れたか、そぉゆうカッコがヒッピーの文化の賜物だってコトを知ったのだ。
ジーパンはいいや。当時はベルボトムしか売ってないような時代だったから。問題はチューリップハットだ。フツーの小学生は野球帽かぶるのが常識だった時代にチューリップハットだもんな。これにフツーのヘアスタイル。厳格な親が長髪を許すはずなどなかった。坊主にされさえもした。
長髪ヌキでベルボトムにチューリップハット!どう考えてもその姿はかなり胡乱である。まだヒゲでもありゃぁちったぁサマになるんだろうが、チンコの毛もロクに生えてないのだからどぉしよぉもない。それでもおれはチューリップハットを手放さなかった。
長じて進んだ高校も、公立とはいえなかなか小うるさいところで、髪を伸ばすことはかなわず、おれが思う存分パーマのかかった肩より長い髪になったのは、80年代初頭、大学に入ってからだ。
言うまでもなく、その時点すでに時代は移り変わっており、長髪が若者のシンボルだったのはとっくの昔のこととなってしまってたけれど・・・・・・。
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あろうことか、今はもう伸ばしたくても、これがもうまったく伸びてくれない。無理にやったら、髷を切り落とした侍みたいになってまう。あまつさえ、この肥満ぶりは何だ!?これで革ジャン着たらヘルスエンジェルスのオッサンやで。シクシク・・・・・・って、そもそも別に長髪でいたいという意欲がも一つ失せてしまった。伸ばすとやはり何かと手間がかかって面倒なのもあるが、もはや長髪が自由のシンボルに思えなくなってしまったのだ。
ロックフェスも組織化され、管理されてしまった。昨今、夏になると日本各地ではロックフェスが開催されるけど、そこに往年の無軌道と放縦を求めるほうがムリがある。そぉいやヒッピーの神、グレイトフルデッドのジェリーガルシアも鬼籍に入って久しい。今あの時代のような自由を感じさせてくれるイベントを強いて挙げるなら、せいぜい「バーニングマン」くらいなモンだろう。
最後に蛇足を書いて締めくくろう。
おれのホームページにはやたらハダカの画像が多い。その大きな理由の一つが、「自由」の象徴として「Celebration of Life」のあの画像を見た経験によるのは、無論、言うまでもない。 |

いや〜、久々に買ってみようかな。日よけにもなるし、畳んでポケットに入るし、洗えるし、ラクでいいんだわ。

世界一バカバカしくも楽しいアートフェス「バーニングマン」の模様の一こま
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http://www.wappenya.com/http:/,/www.strangetwist.com/より
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2006.09.13 |
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----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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