鰻という至福




とみいの鰻重とそのツヤツヤのアップ。店構えで判断しちゃいけない好例。

 富士山が世界遺産に登録されて日本中が沸き返ってる一方で、漁獲量が激減した日本鰻は絶滅危惧種に指定されて、レッドデータブックに登録されそうなんだという。なるほどこの数年の値段の上がり方はハンパない。たいへんなコトだ。

 ------石麻呂に我もの申す 夏痩せによしというものぞ 鰻とり食せ

 ・・・・・・などと万葉集で大伴家持に詠われた日本古来の食文化とも言える鰻が、今や絶滅の危機に瀕しているのである。クロース・トゥ・ジ・エッヂなのである。当時、鰻はどうやら「うなぎ」ではなく「むなぎ」と発音したらしいのだけど、それはともかく旺盛な生命力から重要なスタミナ源とされてたようなのだ。それにしても、こんなアホみたいな歌まで載せてる万葉集ってスゴいよね。ホンマにちゃんと選んだんかいな?(笑)

 それはともかく今回は鰻について。ネタがネタだけにヌルヌルと掴みどころのない内容なのはお許しください。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 我々が通常口にする蒲焼は、かなり近世に至ってからそのスタイルが確立したモノらしく、本来的にはブツ切りにしてたようである。京都は七条通、三十三間堂前の「わらじや」は豊臣秀吉も来店したことがあるなどと言われる老舗中の老舗だが、ここの「うなべ」がそんな鰻の古い調理法の形を残していると言われる。すなわち、筒切りにして焼いたものとこれまた筒切りにした長葱が土鍋仕立になってアッサリした出汁に浮いてるだけだ。
 そぉいやもうずいぶん昔、鰻好きだという女の子をこの店に連れてって、ものすごい値段に半泣きになったことがあったな。ちょっとした付き出しとこの鍋と、あと雑炊がちょろっと出るだけで当時でも一人7千円だか8千円取られたと思う。まぁ創業500年くらいなんだから、有名税で仕方ないんだろうけどさ。ああ、木野の「松乃鰻寮」でも半泣きになったことあったっけ(笑)。フルコースだからそりゃ高いわな。おれも若かったしアオかった。

 関西の鰻の蒲焼は腹開きで蒸しを入れず、関東が背開きで蒸しを入れるっちゅうのは有名な話だけど、おそらくは関西の方が古い形式を残しているのではないかと思われる。あくまで個人的な趣味で言わせてもらうと上品で洗練されてはいるものの、脂が落ちてフワフワして味的にもいささか力強さに欠ける関東系より、川魚らしいクセと食感をシッカリ残した力強い関西の方が好きだ。そう、必ずしも「関西=薄口」ではないのである。こと鰻とおでん(関西ではなぜか関東煮)については関西の方が味付けが濃い。ちなみにおでんは関東系が好きだな。
 饂飩や蕎麦の出汁は概ね関ヶ原を境に関東系/関西系って分かれるが、鰻に関して言うならば、楽器と自動車と鰻の町、浜松辺りが境目ではないか?って睨んでる。なぜならこの町に数ある鰻屋では、腹開きで蒸し入ってたり、背開きで蒸し入れてなかったりと東西の流儀が混じってるからだ。まぁ、東海道に沿って鰻屋をしらみつぶしに食べ尽くしてったワケではないんで、ただのアテ推量なんだけどね。

 それにしても鰻っちゅうヤツ、まことに棄てるところのない魚で、身は蒲焼に、肝は串焼き、あるいは吸い物になり、頭は出汁を取るための「半助」に、骨は炙ってこれまた出汁取って、さらには唐揚げなんてことまでできる。小さな尻尾や鰭を集めて串焼きにすると、これがナカナカ乙な一品で、要はアラとは申せこれまた美味い。いつだったか有楽町の「ミルクワンタン」ってカルトな迷店でこれが出てきて、随分その味に驚いたことがある。

 ところが天麩羅だけはどうにもならんらしい。何でも脂があまりに多いもんだから、衣付けて揚げるとグジュグジュになってちっとも美味くないんだそうな。あと、刺身もかなり珍しい。実はこれは件の松乃鰻寮で食ったんだけど、それほど美味しいものとは思わなかった。また、湯引きも食ったことがあるが、敢えて鰻で湯引きにせんでも鱧でエエやんって気がしたことを覚えてる。そんなこんなで、どうやら鰻は焼くのが一番のようである。ここで雑学を披露するならば、生の状態だと鰻には血に毒がある。食っても何ともないけれど、目に入ると失明しかねないけっこうな毒と言われる。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 あまりにこれまで何度も書き過ぎて自分でもいささか食傷気味になってるんだけど、娯楽の極端に少なかった自分のヘンな実家のコトを、昔話ついでにここで少し触れてみよう。

 なぜか鰻丼は外食でしか食べないものだった。まぁ、今みたいにパックに詰められた蒲焼が店頭に山積みになってる時代ではなく、そもそもどの家でも家庭で鰻を食う習慣が少なかったようにも思う。鰻は川魚も扱う魚屋や、総菜屋、あとタレが似てるからなのかも知れないが焼鳥屋の片隅で売られてる程度だった。それはさておき、貧しさ以上に吝嗇を旨とする家にあって、何故か鰻だけはけっこう何度も食べさせてもらった。そして偏食の極みのクセにおれも物心ついたころから鰻は好きだった。

 まぁ、ともあれ寿司なんかと並ぶハレの御馳走だったんだと思う。しかし、ここでも夫婦仲の悪さは如何なく発揮され(笑)、父親は断固として「いづもや」であり、母親は「豊川」を主張するのだった。そうそう、ペダントリーの塊である父親は、「鰻丼」と呼ぶことさえ嫌っていた。「まむし」なのである。今やまむしと言えば気色悪い柄の毒蛇である蝮のこととしかみんな分からなくなってしまったが、古い上方言葉では鰻丼はたしかに「まむし」だったらしい。いづもやのメニューにも「まむし」って書かれてあった記憶がある。値段はもう忘れたけど、普段、駄菓子屋でいろいろ買うのよりは高いなぁ~、って思ったからそれなりにしてたんだろう。

 「いづもや」っちゃぁ、5年ほど前、織田作之助が愛したと言われる「千日前・いづもや」が閉店してしまったらしい。しかし調べてみたところ、場所がどうにも記憶とは異なる。長じてからここは何度か前を通りかかったが、ここはちょっと場末っぽい、いささか陰気な感じの店だった。おれが連れてってもらってたのは道頓堀のどれかの橋の袂だったような気がするんでさらに調べてみると、千日前以外に「元祖」だのなんだの「いづもや」を名乗る店は過去に何軒かあったみたいだ。でも、どれがどれだったかなんて今となってはもう調べようもない。「豊川」にしたって昔の元気はないみたいで、今稿を書くに当たっていろいろネットで調べてみてもほとんどヒットしない。庶民的な老舗がどうにも生き残りにくい時代になったモンだ。

 話を戻すと、どっちの店が美味しかったかなんて、最早全然覚えていない。両店とも子供心にはとても美味しく思えたんで、さほどの優劣はなかったと思われる。スカしていきなり妙な標準語を使ったりするくせに浪速ナショナリズム炸裂で関東を唾棄する父親は、よく「豊川なんて関東の鰻や!」などと文句を垂れていたが、本当のところはどうなんだろう?豊川っちゅうくらいだから愛知ちゃうんか?そら豊橋か。良ぉ分からんわ。
 どっちゃにせぇ、そんなペダンティックなコト並べず、もっと素直に、「いづもやは子供の頃に何度も連れてってもらった店なんや。だから美味い不味いやなしにおれはこの店が好きなんや」とでも言えば良かったのだ・・・・・・と、今のおれならハッキリ分かる。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 関東に越して来てからも鰻はけっこう食べてる。こっちにも北千住の「尾花」だの浅草の「初小川」だの東麻布の「野田岩」だの、舌の肥えた連中を唸らせる有名店は沢山ある。やんごとなき筋の関係者が愛したとかいう店だとかなんとかも含め、これら所謂「名店」と称される店のいくつかにも機会に恵まれて行ってる。まぁ大半は連れてってもらったんだからエラそうには言えないな(笑)。
 ともあれ、そうしてロクに身銭も切らずあれこれ言うのは失礼と承知で言わせてもらうと、心の底から「嗚呼、美味いなぁ~!」って思える店には巡り会えずにいたのも事実だ。それが先日、印旛沼近くでちょっといい店に当たったのだった。

 あの一帯は「うなぎ街道」と称されるほど多くの鰻屋が並ぶ地域で、あっち方面に出掛けることがあると必ず立ち寄ることにしてる。何と言っても一番人気は「い志ばし」だろう。いつでも店の前に大行列ができている。ただ、おれ的には評判ほどに美味いと思えなかったりもしたのと、生来のマイナー好みから、行けば毎回違う店を訪ねることにしてる。

 そんなヘソ曲がりな気分で寄ったのが、うらぶれた昭和臭漂う、往年のドライブイン然とした建物の「とみい」である。甚兵衛大橋の西方にある。いやもぉ専門店でもなんでもない。どだい、鰻に関するメニューは鰻重の1品だけで、あとはフツーの定食だとかそんなんばっかしの店だ。昼間っからオッサン連中が飲んだくれてるトコからすると、近隣の人々に愛される店なんだろう。
 ナニゲに頼んだその鰻重も、出てきた様子は所謂名店の面持ちではない。肝吸いではなくフツーの合わせの味噌汁だし、付け合せは南瓜の煮物だし、刺身は冷凍丸出しの刺身三点盛りだ。ワハハハ。まぁ、言っちゃ悪いが田舎っぽい。ただ誤解なきよう店の名誉のために言っとくと、本来、鰻なんてモンは庶民のちょっとした贅沢であって、洗練や上品、あるいは粋といった概念からは遠いところにあったのだから、これが正しい姿なのかも知れない。

 ・・・・・・で、肝心の鰻!いやぁ~、これがもぉ素晴らしかったんっす!!

 かなり肉厚でデカいのがドーンと一匹。ちゃんと注文聞いてから活けのをサバいて焼き始める。まずは一口・・・・・・美味い!ちょっと焼き方が関西風に思えたので尋ねてみたら、蒸しを入れるのは最低限にしてるとのこと。そしてその理由を訊いて、おれは納得すると共に少しく嬉しくなったのだった。「関東風にシッカリ蒸すと軟らかくはなるけど、鰻本来の味が失せてしまうでしょ!?」・・・・・・まさにおれの主張通りやおまへんか。そぉなんだよそぉなんだよそぉなんだよ!

 あまりに美味い美味いっちゅうて食べてるのに気を良くしたのか、オバチャン、「えびがに」ってのもサービスで出してくれた。要はザリガニを茹でたものだ。元々真っ赤なのが茹でられてより赤くなってる。これもツマミとしてイケる味だった。
 問わず語りに訊いた話では、鰻が取れなくなって値上げせざるを得なくなったけど全然儲けにならないこと、それでも元は川魚料理屋の意地で鰻重のメニュー一品だけは無くさずに残してること等々、厳しい現実があるようだった。ちゃっかり、そんないいカメラで写真撮ったんならインターネットとかで紹介してね、とも言われたな・・・・・・だからこうして律儀に紹介してる(笑)。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 先日これまた新聞で見掛けた記事にあった。絶滅しそうなこの日本鰻にもようやく養殖の道が開けるらしい。今はまだまだ実験の域を出ず、施設等が小規模で採算ベースに乗らないために、単価がとんでもない値段になってしまうのが玉にキズだが、謎だった幼生期のエサも解明され、稚魚の大量安定供給が数年内には軌道に乗るみたいなのである。ありがたいことだと思う。

 だからってもう、ワケの分からない中国産なんて要らない。ゴム噛んでるようなパックの蒲焼も要らない。そんな粗製乱造のを適当に、家で見た目だけそれっぽくして食ったって少しも幸せになれないことに、この歳に至ってようやくおれも気付いた。

 普段はもっともっと粗食でいいんだ。そいでもってうだるような夏日、水面を渡る風の吹きこむちょっとぼろっちい店なんかで、サバきたて・焼きたての鰻丼をゆくりなく頬張る・・・・・・シチュエーションも含めてそんなのが鰻という至福の味を愉しむもっとも正しい所作のように思う。

2013.07.30

----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
Copyright(C) REWSPROV All Rights Reserved