身銭切って食え!・・・・・・るか?

 
昼はお得なお弁当がありまっせ!

http://www.digistyle-kyoto.com/より
 おれは・・・・・・っちゅうか、誰だって美味いものは好きである。1年365日、不味いものだけを好んで食う人はおそらくは世の中皆無であり、健康や体型や生活のことを度外視できれば、美味いものだけ食って生きていたいと思うのが人情ってモンだろう。
 それゆえ他人が美食について語ることは、それがたとえどれだけ抑制の効いた筆致の名随筆であってもどこかいやらしい。そのいやらしさは畢竟、読み手の性根のいやらしさの投影されたものであるワケだけれども。

 ならばいっそ、書き手としてのおれは開き直るしかない。

 ・・・・・・などと手の込んだ前置きをしたのはそれこそいやらしい話で、おれには生涯縁がなかろうと思っていた和食の名店を、あろうことか2日続きで体験したことを書こうとしてるからだ。あ〜やらし、っと。

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 ったって個々の料理のことをグジュグジュ述べたって仕方なかろう。たとえばグジ(甘鯛)の蕪蒸しの蓋を開けたとき、最初に立ち昇る海苔とワサビの香り、それに続くキッチリと皮目に仕事したグジとすりおろした蕪、そして抑え気味の出汁で薄く味付けられた葛餡という、ややもすれば輪郭のボケがちなトリオにコクのアクセントを添える一片の雲丹・・・・・・なーんてね。
 そんなもん「美味しんぼ」なり、「魯山人味道」なり読めば済むことだ。

 いや、文句言っちゃいけないし、言う気もない。京懐石の風雲児とも称される人が料理長の初日の料亭も、300年もたった一つの料理だけで勝負し続ける2日目も、ホント両日とも素晴らしく美味かった。オマケに朝食は何とか言う料亭がホテル内に出した店でだわ、帰りがけに持たされた弁当がこれまた創業ン百年の老舗料亭のだわ・・・・・・でおれは本格的日本料理を数日間でかなり食破させてもらったのだった。おかげでずいぶん太った。
 和食、って見た目の一品一品は大したボリュームに見えないが、実はカロリー的にはきわめて高いのだ。平均すると大体4,000kcalくらいはあるらしい。これに酒が加わるから、まともに平らげると実に成人男性の一日の必要摂取カロリーの2〜3倍になる。こんな生活1年も続けたら、間違いなく成人病でくたばってしまうだろう。海原雄山もたまには、イチャモンつけても箸はつけずに席を立たねばカラダがもたないワケだ(笑)。

 しかし、こんなにも贅沢三昧をさせてもらったのに、何とも複雑な気分でもある。そのワケは畢竟、「身銭を切って食わなかったけれども、こういった料理はそもそも身銭を切って食うモノではない」っちゅうジレンマにあるように思う。
 四十を過ぎて、もぉジューブンすぎるほどいいオッサンなのに、その辺がどうにも青臭いっちゅうか割り切れないのである。「食」というベーシックな快楽を目の前にしてさえ、素直になれない自分が疎ましい。

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 こんなおれでも身銭を切ってバカ高い食事をしたことは、ある。

 例えば三十三間堂の七条通を挟んで向かいにある「わらじや」。何と店名の由来は、豊臣秀吉がここでわらじを脱いで休憩したことによる、ってんだから創業400年以上。老舗ぶりでは日本有数の「うなべ・うぞふすい」の名店である・・・・・・っちゅうかメニューはそれしかない。あと、う巻きくらいはあったっけ??
 で、出てくるものといえばちょびっとの付出と、ウナギを筒切りにしたのと焼きネギをすまし汁にしたよな「う鍋」、白焼と三つ葉その他を玉子でとじた「う雑炊」、あとはフルーツ。それだけ。量はといえば、鍋も雑炊もお茶碗に2杯程度。つまり大の男の一食にはちと物足りないボリューム。
 美味いことは美味いが、これで何と一人前7,000円ほどする。二人で行ってチョコチョコと飲んだら、15,000円以上かかった記憶がある。

 も一つ例えば、これまた名店として有名な鰻の「松乃」が、岩倉の木野に出している「松乃鰻寮」。何で鰻屋が多いかっちゅうとおれの好物だからだが、ここもそれなりにフルコースでボリュームあるとはいえ高かった。チョコッと飲むのも入れて一人10,000円くらいしたと思う。
 たしかに一品一品は素晴らしく美味いし、極めて珍しい造り(火の通ってない鰻は血に毒があるのだ)や唐揚(脂肪が多すぎて崩れやすい)なんてモノも食せたので、わらじやみたいに法外な印象はなかったけど、「それでもやっぱし高いな〜」ってぶっちゃけ思った。

 洋食や中華でも何度かは名店、ってトコロに行った。やはりお値段リッパで、その素晴らしさを認めつつ、おれはいささか値段ゆえに落ち着かず、十分楽しめなかった。

 無論、悪いのは店ではない。アタマでは理解していながら、ビンボな生まれがトコトン染み付いた寂しい(さもしい?、笑)了見のおれが悪いのである。

 店で飯を食う。

 当然その価格には材料費がある、利ざやがある、人件費がある、光熱水費がある、地代がある、技術料がある、宣伝料がある・・・・・・そこまでは何とか身体で理解している。しかしそこから先は、どうにもまだ気持ちにスーッと入ってこないのだ。すなわち、伝統と名声に対する看板料や、そこで食事をするコト自体へのステイタス料、さらにはくつろぎの時間という席料、何より高価であることそのものが生み出す価値・・・・・・。

 やはり身銭切って食っちゃいけないものなのかも知れない。

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 自宅に戻る前、駅で立ち食いそばを食った。食わねばならない気がした。もちろん、数日間で体験した味からすれば月とスッポンの違いである。決して美味ではない。それでもおれは食券を買い、かけそばを無言でモサモサとかっこんだのだった。

 何だか葬儀に参列した後、「清め塩」を我が身に振りかけるのに、その行為は似ていた。
 


神をも畏れぬ一人前23,000円也!!

同上
2006.02.19
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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